全米で最も愛される女性「エレン・デジェネレス」を知っていますか?

エレン・デジェネレス。アメリカでは、老若男女誰もが知る彼女の名前を、あなたは聞いたことがあるだろうか?彼女は、エンターテイメント業界に所属しつつも、一般的に女性が憧れるような女優や歌手、モデルといった職業の人ではない。コメディアンであり、全米で大人気のトークショーのホストであり、そして、紛れもなく全米で最も愛されている女性のひとりなのだ。
彼女にまつわるエピソードと人柄を知れば、あなたも類い稀な女子力に間違いなくインスピレーションを受けるだろう。今回は、LGBTQの歴史を作った女性のエピソードを紹介します!
自身主演のコメディドラマシリーズでレズビアンとカミングアウト
エレンは1990年代に、コメディドラマシリーズ「エレン」に主人公として出演し、ショーは多くの人から愛される人気の高い番組だった。そして、1997年4月、そのショーのエピソードの中で、彼女は自分自身がレズビアンであるとカミングアウトしたのだ。
当時、世間は今以上にLGBTQに対して厳しかった。カミングアウトした直後こそ、TIME誌の表紙を飾ったエレンだが、その後はまるで嵐のような批判の波に飲み込まれた。州によってはその回の放送を禁止し、複数の広告契約は打ち切りになり、最終的にショー自体もキャンセルに追い込まれた。そして何年もの間、仕事の依頼のために彼女の家の電話が鳴ることはなかった。
彼女はまたゼロから立ち上がり、自身のトークショーを開始。今ではそのショーは17年目を迎え、59のエミー賞を受賞するまでの功績を収めるまでに成長した。さらに人気を裏付けるように、ゲストにはジャスティン・ビーバー、アリアナ・グランデ、テイラー・スウィフト、ジョニー・デップ、ジェニファー・ローレンス、元アメリカ大統領等、世界で最も著名な人が軒並み出演する程。さらに、2016年にはその功績を讃え、アメリカの民間人に送られる最高位の勲章である大統領自由勲章が、オバマ大統領から送られたのだ。彼女はLGBTQの歴史を作ったのだ。
自身のトークショーで、心優しい活動に取り組んだ一般人をサポート。
そんなエレンのトークショーが人気な理由の1つに、彼女が一般人にフィーチャーしたコーナーを持っていることが挙げられる。コーナーに呼ばれる一般人は多種多様。例えば、くだらない動画や写真がバズった人の時もあれば、数学や音楽や地理などの特定の分野に異常なまでに秀でた子供の時も。しかし、最も人々に感動を与えるのが、誰かのために心優しい善行を行った一般人をフィーチャーする時だ。例えば、災害の被害あって自宅がめちゃくちゃになったにも関わらず周囲の人を助けることに尽力した人。
エレンはその家族をスタジオに呼び、彼らに自宅を復旧する資金を提供したこともあった。はたまた、事故で重い障害を抱えることになった友人のために、友人が大ファンのスポーツ選手にはるばる会いに行き、友人を勇気づけるメッセージを送ってほしいと懇願した青年を呼んだ時もあった。その時は、そのスポーツ選手とスカイプをつなぎ、スタジオに来た青年と友人が憧れの選手と会話するチャンスを与え、またその選手のゲームに招待した。
また、政府機関がシャットダウンし、仕事を失った人に無料で食事を提供したウェイトレスの時もあったし、恵まれない孤児を何人も養子として受け入れる家族の時もあった。その度にエレンは熱心に彼らの善行についてのエピソードに耳を傾け、温かい言葉をかけ、支援の手を差し伸べた。そして、視聴者に対し、こう語りかけた。「他の人に親切に」。彼女のこのシンプルで強いメッセージは、人々をポジティブな気持ちにさせ、国民が善行をするためのインスピレーションの源になっている。
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エレンは困難を乗り越え、結婚。奥さんとのラブストーリーは、永遠の憧れ
エレンと妻のポーシャのラブストーリーは、ファンの間では有名な話だ。2人は初めて出逢ってからお互い惹かれつつも、ポーシャは当時カミングアウト直後で世間の批判の渦中にあったエレンを遠い存在にも感じていた。
何年かの時を経て再会した瞬間、ポーシャは「矢が心を射抜いたよう」な衝撃を感じ、その数ヶ月後に2人はお互いの気持ちを打ち明け、交際を始めた。2人はインタビュー等でお互いの話をする時、常に最高の褒め言葉やノロケ話(「世界一、優しくて、美しくて、才能に溢れた人」「寝る前に『自分の人生は全て妻のためにある』と思って眠りについて、朝起きた時に妻に伝えたら、彼女も『全く同じことを考えてた』と言っていた」)を語っている。
また、相手が自分の抱えていた問題を解決する術を見出した恩人であるとも。そして、2人は共同でチャリティを立ち上げ運営し、様々な動物を保護する等、2人で力を合わせて世界を明るくする活動にも取り組んでいる。お互いをこんなに純粋に想い合い、支え合い、成長していく2人の姿には共通の美意識と真実の愛があることを日々、証明している。
明るく、心優しいエレンには、身内からの性的暴行の被害という暗い過去も。
エレンの明るい性格や、人々へ愛を捧げる姿勢を見る限り、誰もがエレンは明るい人生を歩んできたと信じて疑わないが、実はエレンはとても辛い過去を経験している。子供の頃に両親が離婚しただけではなく、さらに母が再婚した相手から性的暴行の被害を受けたのだった。
しかも最悪なことに、エレンの母は、勇気を振り絞ってその出来事を話したエレンを信じてくれなかった。エレンは絶望に苛まれてしまった。しかし、時が経ち、母もその事実を受け入れ、義理の父は逮捕されるに至った。同じ状況に置かれた人は、こんな辛い経験の後には、母親を受け入れられなくなったり、自暴自棄になってしまう人も少なからずいるだろう。
しかし、エレンは人生を前向きに捉え、母を許し、そして他人に優しくすることを選んだ。過去の出来事が自分の人生を支配してしまわない道をエレンは自分自身で選び、そして絶望は希望を与える原動力になりうることを体現している。このストーリーは、悲しい側面を持ちつつも、同じ困難に直面してしまった人々に、とても重要でインスピレーションに溢れたメッセージを送っている。

もちろん、コメディ業界での実力も!数々の女性初の功績を誇るエレン
エレンは元々は小さなクラブや喫茶店で、スタンドアップコメディアン(一人漫才師)としてキャリアをスタート。徐々に人気が出てき始め、1982年にはショータイムというテレビ局から「全米一面白い人」に選出された。
とうとう1986年に当時、コメディアンの登竜門であった有名なトークショー「トゥナイト・ショー」に登場。女性コメディアンとしては、初めてMCのジョニー・カーソンにMC席まで招かれ、トークをするという快挙を成し遂げる。
その後もエレンの人気は止まらず、トークショーを始めたことでMCでも活躍。女性として初めてアカデミー賞、エミー賞の両方をホストしたMCとなった!また、LGBTQコミュニティのライフスタイル誌「OUT」から「LGBTQコミュニティで最も影響力のある人」に選出。また、一般人の投票で選ばれるピープルズ・チョイス・アワードでは、史上最多の累計20賞を受賞。エレンのキャリアの進捗とともに、影響力の拡がりは止まることを知らない!
日本ではあまり知られていない偉人、エレン・デジェネレス。彼女の根幹たる女子力である「他の人に親切に」の信念は、日本に限らず世界中の人に広まるべきもの。個人主義に陥りがちの今の世の中では、コミュニティや自分以外の人間のために、勇気ある行動をとる人がもっと必要とされている。あなたも今日からぜひ、いつもより少しだけ「他の人に親切に」なることを始めてみて!