Hermes 世界で愛されるブランドの歴史Vol.1-②

ラグジュアリーブランドとは「歴史的な背景とオリジナリティを持ち、そして美しく日常を凌駕したもの」と定義され世界中の人々を魅了し続けています。BACKSTAGE TALKではパリで生まれたエルメスやルイヴィトンにはじまり、ミラノのグッチやロンドンのチャーチまで、これからも究極の憧れと同時に定番として使い続けたいエターナルなブランドストーリーを紹介していきます。初回はブランドのなかのブランドと称されるエルメスです。
芸術の域まで高めたスカーフ

出典:hermes.com / カレ 90 《シテ・カヴァリエール》
1978年、ロベール・デュマから経営を引き継いだ5代目となるジャン・ルイ・デュマ・エルメスは百貨店のバイヤーとしてアメリカで生活を送っており、同族経営だったエルメスには興味がなかったのですが、ディオールやサン・ローランの勢いを知り、これからは守りだけではいけないことに気づきます。
当時は香水部門がエルメスを支える柱でした。歴史の積み重ねだけでは、新興ファッションメゾンとの差が生じると感じ、スカーフ部門を拡大することを選びます。これが大きな成功につながったのです。
スカーフのバリエーションを増やし、多色化。そしてシーズンごとのテーマを打ち出します。
テーマを決めてから発売まで1年半もの月日が必要とされ、染料も全て自社で配合を行う。高品質の絹にもこだわり、その圧倒的なクオリティが話題を呼び世界中に販路を広げていきました、
ブランディングの重要性

続いての功績はブランドイメージの刷新だと言われています。今では考えられないのですが、80年代のエルメスは一時代前のブランドと認識されていたため、古いイメージを壊すためにジャン・ルイ・デュマは大きなチャレンジに打って出ます。広告部門のトップにフランソワーズ・アロンを起用し、時代のファッションとスカーフを連動させたりと、次々と伝統を打ち破るような広告を展開するのです。
キャンペーンの美しさや物語性は30年が経った今も受け継がれ、2011年に最も話題になった広告のひとつとして商品がいっさい紹介されず、箱だけをモチーフにしたシリーズが思い出されます。商品を知らしめる広告ではなく、ブランドのイメージ、クリエイティビティを伝える広告は、驚きと強烈なインパクトを市場に残しました。
残念ながら、この分野においては未だ日本は大きな遅れをとっています。自社商品やサービスを買って欲しいと願う企業が、ブランドイメージに予算を割くことは希です。しかしアップルやナイキなど、世界的な企業はエルメスの戦略を見事にキャッチアップして、独自の世界観を構築し、多くのファンから愛されています。誰よりも先にブランド価値の重要性に気づいたジャン・ルイ・デュマはクリエイティブとマネジメントを両立させた稀代の経営者といえるでしょう。
バーキンの誕生

1984年には、世界中の女性の憧れ「バーキン」が登場します。誕生の由来はイギリス女優のジェーン・バーキン、整理整頓がとにかく苦手だった彼女は、いつもバスケットに大量の物を詰め込んでいました。そんな彼女の様子に目をつけ、世界的な銘品を世に送り出したのもジャン・ルイ・デュマなのです。2人がたまたま飛行機でとなりの席になったとき、彼女のボロボロのバスケットに見かね「そのバスケットの中身をすべて入れられるようなバッグを作らせてください。」と提案したことから生まれたのが、エルメスの代名詞的バッグである「バーキン」なのです。
伝統と革新

新作フレグランス《ラグーナの庭》シリーズから生まれたモイスチャライジング ボディーローション
ジャン・ルイ・デュマ退任後の2006年に創業一族以外で初のCEOとしてパトリック・トマが就任。2018年にはそれまで共同で務めていたCEOにエルメス一家のアクセル・デュマが就任、今に至ります。
1837年馬具から事業をはじめ、交通手段が自動車に大きく移り変わった変革期や、第二次世界大戦、そして歴史を持つブランドが1度は陥る古いイメージの定着。普通のブランドであれば淘汰されていたに違いない数々の荒波を、クリエイティブと高い品質、技術の力で乗り越えていきます。
今やフレグランスビジネスは3億ユーロ、エルメス全体では59億ユーロで、すっかり安泰と思う私たちをよそに、先日、化粧品をローンチすることを発表しました。まずはエルメス店舗での販売となるようで、反響をみて販売チャンネルを増やしていくとのこと。馬具からファッション革製品、香水、シルクスカーフ、そして化粧品とエルメスの決して歩みは止まることはなさそうです。