『ミストレス・アメリカ』グレタ・ガーヴィグの描くニューヨークの女性像


今回こちらでアート・カルチャーに関して文章を書く機会をもらい、何を書いたらいいかと悩んだ末、せっかくなら女性クリエイターの作品を取り上げて紹介できないかと思った。自分と同じ時代を生きる女性たちはどんな世界を見ているのか。彼女たちの目を通してどんな作品が世の中に生み出されているのか。さらに同じ女性である私がそれを見てどう感じたか。まとまった長さの文章を書くのは修士論文以来だが、少しずつ自分の言葉でそんなことを綴っていければと思った。

私が最初の記事の作品に選んだのは映画『ミストレス・アメリカ』(2015)だ。この映画を選んだのには脚本と主演はグレタ・ガーヴィグが務めていて、自分でテーマに掲げた「女性クリエイターの作品」だからという理由はもちろんのこと、この映画は私の自己紹介的な作品としても最初の記事にぴったりなのではないかと思ったからだ。

私は2015年の秋から2018年の夏までの3年間を大学院留学のためにニューヨークで過ごした。たった3年とはいえ一人暮らしも海外生活も初めて経験した場所で、あの時間は確実に自分のアイデンティティに大きな影響を与えたし、あんなに自分の存在価値を考えさせられた時間は後にも先にもないんじゃないかとさえ思う。「ニューヨークは好き?」という質問をされることはよくあるけれど、その度に私はいつも「Love & Hate relationshipだよ。」と答える。あの街では学ぶことは多かったし、あそこでしか得られない経験もたくさんして大好きな場所だ。ただ同時に本当に競争的な街でもあり、学業にしても仕事にしてもいつもみんなが多かれ少なかれストレスを抱えて生きていたように思う。ある人に”Once you survive New York, you can live anywhere. (一度ニューヨークを生き抜けばその後どこでも生きていけるよ。)”と言われたが本当にその通りだった。未だにニューヨークを舞台にした映画を見るとまるで昔の恋人を思い出した時のように楽しかったこと辛かったことが思い出されて切ない気持ちになってしまう。

私自身の話が長くなってしまったが、この映画もニューヨークを舞台にあのストレスフルな街を生き抜くことに悪戦苦闘している主人公たちを描いていて、つい当時の自分の心情を重ねてしまう。主人公のトレーシーは作家志望の大学生だが、学校内で自分が所属できるコミュニティが見つからない。同じく作家志望の同級生と親しくなるが、彼にもガールフレンドができるとトレーシーはさらに自分の居場所を見失ってしまう。そんな中、母親の再婚相手の娘ブルックに連絡を取るようになる。ブルックはトレーシーより一回り年上で思いついたことはすぐに行動に移す、直感的に生きるタイプの女性だ。仕事を掛け持ちしたり自分の事業を成功させようと奔走したりと、刺激的な生活を送っている。トレーシーはそんなブルックに憧れのような感情を抱き、彼女を題材に短編小説”Mistress America”を書き上げていく。しかし華やかな生活を送っているように見えるブルックも事業が頓挫しそうになる事態に見舞われる…というのが物語のあらすじだ。

多種多様な人間が集まる街で自分が属することのできるコミュニティを見つけるのに躍起になったり、30歳という節目に当たって何かを残さないと自分の存在が埋もれてしまうんじゃないかと焦ったり。そんな不安から逃れるために全力疾走している彼女たちの姿は痛々しくもとてもリアルだった。迷って悩んで立ち止まっている時間に誰かに抜かされていく気がする。目的を持って移り住んだ人が多いニューヨークでは誰もがそれをひしひしと感じさせられる。

脚本・ブルック役を務めるグレタ・ガーヴィグはミレニアル世代の女性を描くのが得意で、作品の中ではいつも問題に直面した主人公たちが悩みながらも必死に前に向かって進んでいく。彼女は本作品の前にもパートナーのノア・バームバックと『フランシス・ハ』を制作している。また、彼女が監督・脚本を担当した『レディ・バード』は日本でも劇場公開され大きな話題になったので知っている人も多いかと思う。彼女の映画の面白いところは、ただ同世代の共感を呼ぶ「あるある」を描く凡庸な表現とどまらず、演劇的な仕掛けがしてちりばめられているところだ。途中でテンポの良いセリフの掛け合いが唐突に始まったり絵画的な構図が登場したりと観客を飽きさせない細かな演出に惹きつけられる。グレタ演じるブルックのように、次々と溢れて止まらない彼女のアイディアがスクリーンを通じて伝わってくる。

Mistressという言葉には「女性支配者」という意味がある。ニューヨークを制す者はアメリカを制す、とでも言おうか。つまずきながらも前に進み続ける彼女たちには時には要領が悪くてやきもきさせられるが、いつの間にか彼女たちの一挙手一投足に一緒に喜んだり悲しんだりしている自分に気づく。不器用でもへこたれないグレタ・ガーヴィグの描く女性像に魅了されているのだ。